ニホンゴって難しいの?

普段なにげなく使っている日本語。我々日本人にとってはなにも難しいことなどないのだが、外国人がいざ習得しようとすると、なかなか大変なものがあるらしい。まあ、それも当然だろう。日本人が英語を習得する際のことを考えれば、他言語を学ぶということは一筋縄ではいかないのも致し方なし、だ。

それにしても、どこが難しいのだろうか? どこにつまずき、なにが理解できないと感じるのだろうか? また、どこを面白いと思い、なにに新鮮味を感じているのだろうか?

日本語を意識せずに使っている我々は、実は日本語の良さや面白さ、その特徴に気が付いていないのかもしれない。

外国人の日本語観などを通して、日本について再考してみたい。

 

Text by Nakamurakatabutsukun

 

ニホンゴって、世界一難しい?

最初に確認しておきたいのが日本語はどの程度難しい言葉なのかという点だ。インターネットなどを見ていると「世界一難しい日本語」「日本語は世界一習得が困難」などといった表現が散見されるが、本当だろうか?

まず、英語を母国語とする人間にとって日本語習得は難しいというのは事実のようだ。外交官などを養成するアメリカ国務省の専門機関「外務職員局」では英語を母国語とする人間が習得しにくい世界の言語をレベル分けしており、日本語は最高難易度のカテゴリーⅤに分類されている。

現在、英語を頻繁に使っている人は世界に17億人。世界人口の約4分の1が英語を得意とする人たちで日本語は彼らにとって難しいと感じる言語であることは間違いない。世界一難しいかは別にして、世界的に見て習得しにくい言語であることは確かなようだ。

ただし、カテゴリーⅤの言語には日本語のほかに中国語、韓国語などが含まれており、要は西洋人にとって東洋の言語は難しいというのが本当のところ。よって、日本語が世界一難しいかどうかについて言えばノーだろう。

これについては海外の外国人日本語教師たちを育成する国際交流基金・日本語国際センター専任講師の生田守氏も同じ考えで「その質問は私もよくされますが、日本語を難しく感じるかどうかは学ぶ方がどの言葉を話しているかによりますね」と語る。

「言語間の距離といいますか、言語的に日本語と離れているところから来た方たちは難しく感じるでしょうし、近い方は習得しやすいと思います。我々日本人が外国語を学ぶ時もそうですよね。発音が難しい言語もあれば、文法が難しい言語もある。それと同じで、母国語側からの距離によって変わるので、世界の言語のなかで特に日本語だけが難しいという特徴は見当たらないですね」

英語圏の人間にとっては歴史的に関わりが深く、成り立ちも共通するものがあるフランス語、ドイツ語の習得はそれほど難しくはないだろうし、日本語を話す我々にとっては韓国語やハンガリー語の習得は割と容易なようだ。しかし、韓国語やハンガリー語は日本語と文法が似ているので学びやすい反面、発音が難しいなどの難点がある。

「日本語の特徴を言いますと、子音が弱く、母音で確実に終わっているという構造があります。こういった構造はスペイン語も一緒で、日本人は発音しやすい言葉なんですね。ロシア語みたいに子音がいくつも続くような言語だと難しい。ロシア語が母国の人が日本語を習う時も同じです。日本語と韓国語は文法的には似てますが、音はそうでもないです。我々が有声音と無声音で区別しているところを向こうは有気音と無気音、息が出るかどうかで区別しています。例えば、日本語だと「カ」と「ガ」のように区別していますが、韓国語だと「カ」と「カハァ」みたいな感じで区別します。日本人が「カ」と「カハァ」の区別が難しいように、韓国の人も「カ」と「ガ」の区別が難しいんです」

これは日本語と同じ漢字文化である中国語もそうで、漢字があることによって書き言葉としては理解しやすいが、発音が大きく異なるため、会話の部分で中国語は日本人にとってハードルが高い。中国語の発音や文法はむしろ英語に近いので、中国語の会話はアメリカ人のほうが習得しやすいようなのだ。

「外国人の日本語学習者が言うには、『日本語が上手になるにしたがって難しくなってくる』ということはあるようです。どの言語もそうでしょうけど、上手になればなるほど難しさに気づくということはあります」

 

ニホンゴってそんなに曖昧?

日本語は難しいという人々がいる一方で、「日本語は曖昧すぎる」という批判もある。この批判は実は外国人から出されているのではなく、日本人が言うことのほうが極めて多い。しかも、こちらは明治維新の時からで、代表的なものが『日本語は近代化に不向きな劣等言語』という批判だ。伊藤博文、森有礼ら洋行帰りの日本人たちが唱えたもので、特に森は「日本人は母国語を英語にすべきだ」とまで主張している。そんな森が明治政府の文部大臣だったのだから、日本語は難しいというよりも不幸な言葉と言っていいかもしれない。

「よく日本語は曖昧だなんて言われるんですけれども、それは違います。その逆に、我々の曖昧に伝えたい、濁したい気持ちを正確に表現できていますから日本語の語彙ですとか、文法に曖昧性はまったくないと言っていいですね」

日本語が曖昧だというのも誤解だったのだ。

「日本語が曖昧だという人は、『日本語は結論があとにくるからわかりにくい』と言うんですけど、それも誤解ですね。文章の後ろに動詞がくる言語のほうが世界では多いんです。世界の言語の約60%が文章の後ろに動詞がきますから、その批判も当たらないですね。たぶん、日本人のほうで『日本語はちょっと曖昧なんじゃないか』って思っているふしがあって、それで外国人も『日本語は曖昧なんじゃないか』と勘違いしてしまう傾向があります。日本語は特殊だとか、ユニークだとか、世界一難しいとか、私たち日本人が思っていることは、意外にそうでないことが多いんですよ」

考えてみれば、フランス人はフランス語を世界で一番美しい言葉だと本気で思っているし、中国人は中国語を世界で最も知的な言葉だと思っている。自国の言葉を特別だと思うのはどこの国でも一緒なのだ。

 

ニホンゴのここが難しい!

言葉はその国の文化に根ざしていると生田氏は語る。よって、その国の文化を理解することが言語を身につけることと直結してくるという。

例えば、日本の正月と中国の旧正月はまったく違ったイメージだ。華やかということでは同じであっても琴の音が流れる初詣の賑わいと、爆竹をバンバン鳴らす春節の喧騒はかなり差がある。しかし、同じ喧騒であってもリオのカーニバルと比べると春節はやはりアジアの祭りの匂いがする。

「ものの見方なんかもそうですね。たとえば色の範囲でどこまでが赤で、どこまでが青かというのも、言語によって違ってきますし、価値観でいうと、日本人が重んじる『義理』『人情』『和』なんかはそのまま英語に訳したり、フランス語に訳したりはできないですけれど、説明すればお互いわかるし、共有できるんですね」

一方、言語には社会性もあって日本語を教える側とすれば、特に気をつけなければならない点らしい。社会とは人と人との関係、コミュニケーションのことで、話す相手や状況によって使う言葉を選択するのは大事だ。日本語には敬語があるので、社会性の部分を教えるのは慎重になるという。

「日本語学習者が必ず難しいというのが敬語ですね。しかし、教えるほうとしては、皆さんが言うほど敬語って難しくはないんですよ。敬語自体は練習したり、学べば解決できるんです。ところが、本当に難しいのは、状況にマッチした、より適切な表現を選ぶことで、日本語は言葉のバリエーションが非常に多いんです。敬語もそうですけど、私たち日本人が普通に使い分けている男性的なしゃべり方とか、女性的なしゃべり方の違い、現代風のしゃべり方と昔風のしゃべり方の違いだとか、役割語と呼ばれるものが非常に豊富なんですね。2016年、『君の名は。』というアニメ映画がヒットしましたが、この映画の英語の字幕をつける時に、相当苦労したと聞いています」

『君の名は。』は主人公の少年、少女の性別が入れ替わってしまうストーリーで、男女が入れ替わって、ボクと言ったり、オレと言ったり、私と言ったりと、めまぐるしく変わるところを表現できないと映画の面白さが伝わらない。結局、字幕ではローマ字で「boku」「watashi」「ore」とつけて区別したという。

「僕、私というのが一種の役割語で、現実では一人称で『僕』を使う人や場面は少ないですよね。でもそう言ってしまうと小説なんかは成り立たなくなってしまうので、作家は自然に使い分けているし、読者も特に意識せずに読み分けています。ただし、慣れていない日本語学習者は戸惑ってしまいます」

難しいのは日本語ではなく、社会との関連性ということのようだ。

「日本語の場合、語形とか、文形といった面での特殊性はむしろ少ないんですね。文脈を読んで話すというコミュニケーション言語的特徴があって、次に相手がなにを言うかをはかりながら、話しているところがあります。だから、言わなくても通じるというか、かえって言わないことによって通じさせるところがあるんです。これを高文脈化社会といいます。なかでも日本語は高文脈化の進み方がトップレベルにあります」

難しいのは文法ではなく、使用法というわけだ。人間関係を円滑に進めるのが日本の文化であり、社会的特徴で日本語はそれを効率よく実現させるために高文脈化が進んだのだ。

 

和を尊ぶ日本人。和を保つ感謝の言葉

よって、日本語の中から日本社会の特徴を探し出すことも可能で、よく言われるのが感謝の示す言葉多い点だろう。日本人は感謝の言葉でもって和を保つ。対立を避け、正面衝突しないように言葉にクッションを置く。これが感謝のバリエーションの豊富さ、言い回しの多彩さにつながっていったのかもしれない。

ただし、和を尊ぶ習慣に関しては常に批判もつきまとう。いわく曖昧だ、自分の意見をはっきり言わない、悪くもないのに謝ってしまう、などという指摘がそれだ。

「他人が自分に対して、してくれたことにも『悪いね!』と言いますよね。これはよく不思議がられます。『悪いってなに!? Badなの!?』という疑問で、『悪い』をそのままBadに訳してしまうと、そこで終わってしまうので、『相手に対して申し訳ない』『苦労かけてしまったね』という、ねぎらいの気分を『悪いね』で表していると説明します。『なぜ、謝るんだ?』という疑問に対しては、相手の立場に一度自分を置き換える、相手を慮ったうえでの感謝だと伝えます。あと感謝とはちょっと違いますけど、『大丈夫です』というのも私たちはいま便利に使ってますよね。以前は『けっこうです』も柔らかい表現だったんですけど、だんだん堅い表現になってきたので、『大丈夫です』に取って代わられた、といったことも教えています。それこそ2年くらい前までは『コーヒーいかがですか?』『大丈夫です』という答え方は耳新しいと思っていたんですけど、最近は当たり前に断る表現として認識されてきましたね」

最近では「全然」もその使い方が変わってきている。以前は否定にしか使わなかった言葉だが、いまは肯定の意味のほうが強い。

「日本語用のテキストにも書いたんですけど、たとえば、友達同士ならば『全然いいよ』というのもおかしくないじゃないですか。『全然』をつけることで、ちょっとした配慮の気持ちを含めているんですね」

 

タタミゼ効果が世界を変える

こうして聞いてみると言語は社会性と大きく関係してくることがよくわかる。語形や文型など構造的なことよりも、その国民が言葉をどう使うかによって、言葉が変わってくるのだ。

日本語は「柔らかさ」「曖昧さ」をあえて付け加える使用法で「和」を作り上げていったのだ。

「我々が文化的にそういうものを持っていて、社会としてもそれを強調するし、そういった概念を大切にするような表現があるということですよね。それがやっぱり日本語の良さなのかなと思いますね。直接意見を戦わせたりするのを避けるようなところで、曖昧だと批判されることもあるんですけど、逆に言えば日本語的な考えが国際社会に広がって、もし、平和というものを求めるんだったら、日本語って平和な社会を築くためには非常に有効なツールじゃないかと思うんですね。日本社会の良さみたいなものが反映された日本語というものを世界に広めることに意義があると思いますね」(生田氏)

フランス語に「タタミゼ=tatamiser」という言葉がある。日本語の畳を動詞化したもので、意味は思考や習慣が日本化してしまったフランス人のふるまいを揶揄するものだ。日本人がアメリカから帰国して自己主張が強くなるのと同じで、要は外国カブレのことを言うのだが、昨今このタタミゼは日本の留学生の間で、ごく当たり前に使われているらしい。言語学者の鈴木孝夫氏は著書『日本の感性が世界を変える』の中で、タタミゼと日本語の関係について非常に興味深いことを語っているので紹介したい。

「数名の(外国からの)卒業生と雑談しているときに、一人が日本語を学習するとタタミゼになるというようなことを言ったのです。ハッとした私が、他の人にタタミゼってわかりますと聞くと、この言葉は留学生の間でよく使われていて、久しぶりに自分の国に戻ると、つい日本で身についた色々な癖が出て、周りの人と調子が合わないことが間々あることを指して言うのだそうです」

これは2011年の時の話なので、タタミゼという言葉は、私たちが知らない間に海外では相当浸透しているようだが、ここで注目してほしいのは日本で身についたという癖で、鈴木氏の著作の中からいくつか抜粋すると以下のようになる。

 

①すぐに「すいません」と言ったり、謝ったりする。

②なんにでも賛成して、相手が話している時はうなづいたり、あいづちをうったりして聞いていることを伝える。

③自分の気持ちをストレートに言わない。

④セルフサービスのレストランで食器を片付けるようになった。

⑤無防備になって置き引きにあうようになる。

 

といったもので、まさに日本人の特徴と言われるものだろう。これらを本国でも、やるようになったため、友人や親から「自分の意見がない」「食器を片付けるのはメイドの仕事だ」などと批判されたというのだ。

しかし、大切なのはこのあとだ。批判された元留学生たちがどう思ったのかというと、「自己主張しないことで疲れなくなった」、「相手を思いやる気持ちでいたほうがホッとする」、「やさしい気持ちになれる」というものであったのだ。もちろん、自分が自分でなくなったといって以前の状態に戻す人も多いだろうが、タタミゼ状態の継続を選択する人も少なくないのである。

その理由について鈴木氏は前著のなかでこう語る。

「現代の日本に根強く残る自然との融和性や共生的世界観、そして日本語自体に秘められている感性的なユニークさが、外国人をしておのずから日本化させてしまうことは、以上のような例で明らかだと思います。とりわけ重要なことは、タタミゼ化した当の外国人自身が心地よいと感じ、闘争的対立的な感覚が和らいだと感じていることです。私がタタミゼ効果が世界平和に役立つと『夢のような』ことを本気で考えているのは、まさにこうした事実ゆえなのです」

期せずして生田氏も同様な感想をもらしている。

「特に談話レベルというかレスポンスというか、日本式の論理というんでしょうか。それが世界に広がれば対立は緩和されるんじゃないかと、そういう期待はありますね。曖昧というのを逆手にとって、よくいえば衝突を避けるのに長けた言語という日本語の可能性ですね。時には沈黙するとか、ちょっと一歩引いて考えてから話すといった点は日本語の得意とするところですからね。日本語の文法ではなく、使い方がもしかしたら国際社会に変換をもたらす可能性はあるのかなと思います」

ただし、それを実現させるには我々日本人も変えていかなければいけないことがある、と鈴木氏は言う。

「困ったことに、これまでは日本人自身が、わが日本文化と日本語の力にまったく自信がなく、肯定的に力強く日本文化と日本語の力を主張してきませんでした。ですから、できる範囲でいいので、日本語の良さを主張してほしいですね」

主張しないところが日本語の良さであるので、なかなか難しいことではあるが、日本人ひとりひとりが日本文化と日本語の良さぐらいは理解しておく必要はあるだろう。少なくとも、外国人に「日本語は曖昧だ」と言われても、「日本語の文法は曖昧ではないですよ。日本の社会が対立を好まないのです。和を貴しとしているのです」とにこやかに言えるぐらいの知識と自信は身につけておきたいものだろう。

生田氏も日本語教師としての経験からこう語る。

「日本語を足がかりにいろんな言語をみていくととても面白いです。日本語は感謝の言葉がとても多い言語です。その一方で、他人を罵る言葉が多い言語も世界にはあります。どちらの国が好ましく思えるか、住みたいと思えるか。私は日本語が母語でラッキーだったなと思っていますよ。そういう世界を作っていけるといいですね」

 

 

 

取材協力

国際交流基金 日本語国際センター

日本語国際センターは、日本国外における日本語教師の養成・研修を行う研修事業、そして日本語教材・教授法の開発・普及を行う教材制作事業を2本の柱として活動。世界各地で日本語学習や日本語教育に関わるさまざまな人々と連携・協力して事業を展開し、国際社会における相互理解を推し進めるための人材育成を行っている。

 

 

 

※本文内に含まれる情報は『JAPAN CLASS 第17弾』発売時(2018年4月刊)のものです。

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