ニッポンの変な“謝罪文化”好きだわ〜。潔い謝りっぷりに外国人が感心!

外国人から見ると、日本人ほど謝る人種は世界にいないらしい。日本人からしてみれば、非があるのなら政治家だろうが企業のトップであろうが素直に謝るのは当然のことだが、外国人にとってはそれが信じられないという。加えて「それ謝るとこなの?」と感じることも多々あるようで……。この“謝罪文化”の背景にあるものはなにか、日本と海外との“謝罪”に対する考え方の違いも交えつつ掘り下げてみよう。

 

Text by Nakamurakatabutsukun

“謝罪”が売り上げに貢献!?
外国人が驚く日本人の謝罪どころ
なにかあったらすぐに「すいません」と謝るのが日本人。自分に非があった場合はもちろんのこと、相手に非がある場合でも「ごめんなさいね、大丈夫だった?」と声をかけ、相手も「いえいえ、こちらこそすいませんでした」と互いに気遣いを欠かさない。謝罪は日本の社会において、みんなが気持ちよく過ごすための潤滑剤なのである。いや、潤滑剤どころではない。ときに謝罪はエンターテインメントとして成立することもある。
格闘技漫画『グラップラー刃牙』で有名な漫画家板垣恵介氏は最強の土下座をテーマにした土下座漫画『どげせん』を2010年に企画、翌年には自ら、謝る男と書いて『謝男(シャーマン)』と読ませる謝罪漫画を描いて漫画界に衝撃を与えている。
さらに日本ではしっかり謝れば、売上げアップにも貢献するから驚きだ。
2016年の4月、アイスバー「ガリガリ君」で知られる赤城乳業が「ガリガリ君」を60円から70円に値上げした。その際、同社では、異例の「お詫びCM」を制作、高田渡が歌う『値上げ』の歌に乗せて同社社長を含む100人の社員が深々と頭を下げて値上げを詫びた。
この値上げにともなって赤城乳業では売上前年比マイナス6%と予想していた。
ところが、CMを見た消費者は、高田のペーソスをふんだんにきかせた歌詞(〜極力値上げは抑えたい〜値上げせざるを得ないという声もあるが値上げするかどうかは検討中〜年内値上げもやむを得ぬ〜値上げにふみきろう)と社長の真摯に謝る姿を好感し、逆に、「誠意がある」「頑張っている」と高評価、なんと前年度比売上げ10%アップという快挙を成し遂げたのである。

 

謝るのはいけないこと!?
謝罪=美徳の日本と、謝罪=負けの欧米
このように、日本において謝罪は多くの利点を持ち、ある意味、美徳としても捉えられている行為なのであるが、残念なことに海外ではどうも評判が悪い。日本好きを自認し、寿司やサムライをこよなく愛する外国人たちでさえ、「すぐに謝るのが日本人のいけないところ」と言い出す始末なのだ。
一体彼らはなにゆえ謝罪に対してこうまで否定的なのか?
理由は欧米人にとって謝罪=自分の非を認めたこととなり、非を認めた以上は責任が発生する、となってしまうからだ。特に、欧米は訴訟社会のため、責任が発生した場合は、賠償金等の支払いの義務を負わねばならず、すぐに謝るのはとても危険な行為なのだ。
一言で言えば、彼らにとって「謝罪は負けであり損」なのである。
よって、日本人のように自分が悪くなくても「ごめんなさい」などと謝るのは言語道断。それどころか、自分に非があったとしても謝らないことが正しいこととされている。
しかし、そうなるとどれほど自分が悪くとも謝らない人が続出し、非常に生きにくい社会が生まれてしまうのではないか、と思ってしまうのだが、実際、すでにアメリカはそうなっており、“sorry”の発言がしばしば裁判で自分の過失を認める証拠として採用されている。そのため弁護士からはなにがあっても謝ってはいけないとアドバイスされることが多くなり、逆にこれが争いをこじらせる要因にもなって社会問題化しているのだ。

 

本音は素直にI’m sorry……
欧米人が謝りたいのに謝れないワケ
しかし、不思議なのはアメリカ人でさえ、本当は謝ったほうがいいと思っているのに、謝れない状況に陥っていることだ。なぜ、こんな社会になってしまったのか、といえば、近年アメリカでは、弁護士の数が異常に多くなってしまったことが理由に挙げられる。
日本では弁護士資格を取るのは狭き門だが、アメリカでは高校卒業レベルの学力があれば入学できるロー・スクールを卒業し、各州が行う合格率約80%の資格試験に受かれば誰でも弁護士になれてしまう。このため、なんと年間5万人が弁護士資格を得ているのだ。
日本の場合、弁護士資格を得られるのは年間3000人までと決まっている。アメリカのほうが日本の3倍人口が多いことを差っ引いても、5万人というのは異常な数字だということがわかるだろう。
おかげで弁護士同士の過当競争が発生し、本来訴訟する必要のない問題まで裁判を起こすよう弁護士たちが働きかけるようになり、訴訟社会という住みにくい世の中を作ってしまったのだ。
実際、アメリカで交通事故に遭うとその日のうちに弁護士から訴訟を起こさないかいう勧誘電話が何件もあると言われ、彼らのような弁護士には「アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかける人)」という蔑称までできているほど。
しかも、アメリカ・ジョージア州の弁護士を対象に行われたアンケートでは、83%の弁護士が、「謝罪のみで多くの紛争を解決できる」と回答しており、訴訟を煽る弁護士自身が「本当は謝るだけで解決すること」を知っているのだからタチが悪い。
また、医療過誤のような深刻かつ難しいケースであっても、いち早く病院側が医療過誤の事実を公表して謝罪すれば、訴訟の数も減り、賠償金額も少なくて済むことが統計データとして出ている。
わざわざ言うまでのことでもないのだが、「間違ったことをしたらちゃんと謝る」というのは日米問わず正しいことなのだ。
それを「謝るのは罪を認めたことになる」だとか、「謝ったら賠償責任が発生する」だとか主張する外国人のほうこそ大間違いだったのである。

 

欧米人も気づいてきた
日本式「すみません」の正しさ
そもそも、英語のsorryにしても「ごめんなさい」の意味だけで使っているわけではない。
例えば、最近知り合いになった人にたまたま家族のことを聞いて「父は先月亡くなったばかりなんです」という答えが返ってきたら、「sorry」と言うのは常套句。そのsorryは同情と哀悼の意味であり、「悪いことを聞いてしまった。責任を取るため賠償金を払う」という意味では決してないことぐらい誰だってわかるはずだ。
つまり、日本の「ごめんなさい」や「すみません」が同情と哀悼の気持ちから発していることだって、彼らはちゃんと理解できるのである。
ともかく、こういった訴訟社会は異常だということがようやくアメリカ人も気づいてきたようで、マサチューセッツ州、アリゾナ州、コロラド州、コネチカット州など36の州や特区で「アイム・ソーリー法(Sorry Law)」が制定されるようになってきた。
これは「事件や事故に関与した人、又はその者の家族に対して痛み、苦しみや死に関連する慈悲の一般的な意味を表す文、文章、またはジェスチャーは民事訴訟における責任の証拠として認められない」(マサチューセッツ州の条文)というもので、アイム・ソーリー法がある州だけは、日本のように普通に「ごめんなさい」や「すみません」が言えるのである。
人種のるつぼであるアメリカは考え方や思想もさまざまなので法的な整備がないとなかなか統一見解が取れないというのもわかるが、なんとも世知辛い話だろう。

 

「もっと謝りましょう」
聖書の教えに忠実なのはむしろ日本人!?
人間誰しも過ちを犯す。
ならば、過ちは赦せるものであれば赦していくし、たとえ赦せないものであっても、赦す努力をするのが人としての道。
こんなことは日本人のみならず、世界中の人々だって本当はわかっていたはずなのだ。
なぜなら、マタイの福音書にはこんな言葉があるからだ。
「もしも、あなたがたが、人々の過ちを赦すならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを赦して下さるであろう。もし人を赦さないならば、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦して下さらないであろう」
外国人の多くが心の支えとする聖書。そのなかにすでに赦しの教えが入っていたのである。
「すぐに謝るのが日本人のいけないところ」どころか、彼らが信仰する聖書の教えに忠実なのは、日本人のほうで、神の言葉を守っているのも日本人のほうだったのである。
逆に言えば、私たち日本人はこのことをもっと自覚し、外国人に対しては、「もっと謝るほうがいいんですよ」と教え導くことのほうが正しかったのである。もっとも、日本人は、そんなおこがましい考え方も行動もしないだろうが。

 

日本人が守り続けてきた
謝罪と赦しの起源
それにしても、日本の謝罪と赦しの文化はどこから来たのであろうか?
普通に考えれば仏教や儒教の教えからだと思ってしまいがちだが、仏教はすべてを諦めなさいという教えなので謝るというのとは少し違う。儒教は基本的に年上のいうことを聞きなさいなので、これも根本的に謝る文化とは異質。
また、現在の中国、韓国を見ても、謝る文化があるとはあまり思えない自己中心的な行動を取る人々がとても多い。残念ながら、欧米のように「謝ることは負け」の文化を実践しているようにしか見えないこともしばしばだ。
それでは「聖書の教えに忠実に従った」のかといえば、キリスト教、ユダヤ教の布教率の低さを見れば、それも考えにくい。
一体、我々の謝罪と赦しの原点はどこなのだろうか?
実をいうと、原点は神道なのである。
神道の祝詞(ル:のりと)や神話のなかには天に対して自らの罪を謝り、赦しを請う言葉がかなり多く含まれている。さらに、ユダヤ教の研究者で、日本神道の神官見習いも経験しているヨセフ・アイデルバーグ氏は、ユダヤ教と神道の共通点をいくつも発見しているのも興味深い。
例えば、日本書紀に描かれているイザナミとイザナギの結婚式、いわゆる国生みの儀式では2人の神は「アナニヤシ」という言葉を発しているが、日本語では全く意味不明。しかし、ヘブライ語では「私は結婚する」という意味になるというのである(『日本書紀と日本語のユダヤ起源』徳間書店刊より)。
さすがに「神道の起源はユダヤ教だった」という氏の主張まではなかなか認められないものの、神道とキリスト教、ユダヤ教には共通する教えがあることは間違いないのである。
とすれば、我々日本人は世界中の神が認める教えを2000年以上も前から連綿と守り伝えてきたことになるだろう。
さらに言わせてもらえば、謝罪と赦しの文化はいま多くの国々で失われている。欧米はもちろん、中国、韓国、インドなどのアジアの国々でも、「謝ったら負け」「謝ったら損」といった思考に陥ってしまっている。そんななかで、我々日本人だけが謝罪と赦しの教えに忠実であることは誇りにこそなれ、決して卑下するものではない。
謝罪と赦しの文化。こんな素晴らしい文化を、ただ外国人が悪いと言っているからという理由だけで自己否定し、自ら捨てるようなことだけは絶対にあってはならないだろう。その美しさと人間社会における必要性を理解し、子孫に伝えていくことがいまを生きる我々の使命なのである。

 

 

※本文内に含まれる情報は『JAPAN CLASS 第9弾』発売時(2016年12月刊)のものです。

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